社 名 | 一般社団法人信州教育出版社 |
理事長 | 畑 純子 |
所在地 | 〒380-0846 長野県長野市旭町1098 |
前身の社団法人信濃教育会出版部は,「信濃教育会の教科研究とその成果の発表を助成」することを目的に,昭和22年に設立されました。以来,郷土「長野県」に根ざし,「子どもたち」を育み,その時々の時代に対応しながら組織の変遷をかさね,信濃教育会の学術研究調査の成果発信の手段である「出版事業」の「受託事業団体」として独立した運営をいたしてまいりました。
その後,より広い教育現場のニーズに応えられる体制にとの思いを込めて,2011年より信濃教育会出版部から,「信州教育出版社」と社名を変更いたしました。
新社名は,信州教育近代史において「信州教育を支えた県民の熱意」「教育を担当する信州人教師の使命感」が「信州教育」を創り出したとの由来から,現代においてもその不滅の情熱を引き継ぎ,育成するサポート役を果たそうとの願いを込めたものです。
わたくしたちは,引き続き長野県における教科研究の成果を発表し,教育研究の助成,教育研究図書の発行,教育の振興に寄与する事業を行います。
教科研究及び教育学術講演、講習に対する助成を行うとともに,その成果を発表するための優良教育学術図書の刊行と小中学校への無償配布及び教育研究者及び教員への廉価販売により,教科レベルの向上を図り,もって長野県の教育の振興,文化の向上に寄与することを目的としています。
● 教育学術講演,講習会の補助事業
● 学校図書館教育充実のための活動費援助事業
● 学校教育,家庭教育及び社会教育の振興を図るための研究調査,発表事業
● 教育学術図書の刊行事業
平成29年(2017年)6月現在
昭和22年(1947年) | 6月10日 株式会社信濃教育会出版部 創立 (印刷・出版業) |
昭和23年(1948年) | 小・中学校「夏・冬休み帳」発行(中~平成3年) |
昭和30年(1955年) | 「小学校 国語教科書」編集・検定・採択等4年の歳月を経て供給開始(~昭和45年) 「小学校 理科教科書」編集・検定・採択等4年の歳月を経て供給開始(~現在) |
昭和32年(1957年) | 「高等学校 農業学習者書」発行(~現在) |
昭和34年(1959年) | 「小学校 家庭教科書」編集・検定・採択等2年の歳月を経て供給開始(~昭和45年) |
昭和36年(1961年) | 公益法人として認可 社団法人となる。印刷部門を「信教印刷株式会社」として,分離 |
昭和47年(1972年) | 公募によるシンボルマークを制定 |
昭和56年(1981年) | 「信濃子ども詩集」サンケイ児童出版文化賞受賞 |
昭和58年(1983年) | 創立35周年記念事業として「長野県の学校」発刊 |
昭和59年(1984年) | 「信濃の民話シリーズ」サントリー地域文化賞受賞 |
平成元年(1989年) | 長野市旭町に社屋建設 完成 |
平成2年(1990年) | 「信濃教育会代議員会」の決議を受け,各郡市教育会に郡市連絡委員1名,公立の各小・中・自律学校に学校出版部係1名を委嘱 |
平成3年(1991年) | 「小・中学校 道徳資料集」編集・実践検証・採択等4年の歳月を経て発行(~現在) |
平成4年(1992年) | 「小学校 生活教科書」編集・検定・採択等6年の歳月を経て供給開始(~現在) |
平成9年(1997年) | 創立50周年記念事業として「池田満寿夫 作品」「浅井洌 書」を頒布 |
平成12年(2000年) | 新生事業体として改組・営業部門を「株式会社 しんきょうネット」として分離 |
平成23年(2011年) | 1月より新社名を「信州教育出版社」に改称 社名改称記念として『信州教育とはなにか上・下』発行 |
平成24年(2012年) | 10月より一般社団法人 信州教育出版社に移行 |
平成29年(2017年) | 創立70周年を迎える |
県花「りんどう」をモチーフとしたシンボルマークは,社団法人信濃教育会出版部のシンボルマークとして,昭和47年(1972年)に長野県の教職員及び児童・生徒への公募によって制定されました。
「新しい時代に即応し本社団の理想をあらわすような社紋を制定したい」という呼びかけに対し,181点の作品が応募され,長野県デザイン協会会員から選出された7名の選考委員によって,当時,信州新町中学校2年生の牛澤一二三さんの作品が選出されました。(現在のシンボルマークは,社名変更の折,この作品をもとにリニューアルしたものです。)
<選考委員・講評> まっすぐに伸びた努力と進歩の線の上端に,希望の星としてりんどうの花が輝き,何本かの葉の線が幹に栄養を与えている(葉は書籍をイメージ)。信州の未来を象徴している。